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満開の桜の下

04 04 *2010 | 宿主生存報告

気付けば春なのね~(笑)
何時もの桜がいつものように咲いているし。

年明けの1月8日に入院した母が息を引き取ったのが2月23日。
葬儀で2月いっぱいはバタバタ。
その後は住んでいた公団住宅を3月一杯で明け渡さなければならなくなってバタバタ。
ひとつの所帯を片付けるのがこんなに大変なことだとは思いも寄らなかったこの一ヶ月。
ほとんど何もかもを捨て去らなければならないことに胸が痛んでいる暇すらない。
手元に残ったのは古い仏壇と、見慣れた古い食器少々と、箱に入ったままだった幾つかの高級な茶器、故郷秋田の樺細工の数々。
古ぼけた桐の箱に大切に仕舞われていた私と弟のヘソの緒と母子手帳、そして無数の写真、メモしてあった知らない方々の住所の記録。
私たちを育ててくれた洋裁の道具は、指ぬきや針刺し以外は数年前に軽い脳梗塞で左手足に痺れを感じて以来あまり使われなくなっていた。
足は杖を突いて歩くのはイヤと懸命にリハビリをして克服していたが、針仕事は流石にプロのプライドが許す仕事はもう出来なくなっていた。
クローゼットを開けば出て来るのは手付かずだったたくさんの生地。
来る日も来る日もモノを捨て去る作業は、ただ疲れるばかり。
ただ、古い足踏みミシンは長年母の洋裁教室の生徒さんだった方に是非にとねだられて貰われていった。
2台あったロックミシンは私と私の友人の手元に。
見事だったのは洋裁道具としての針が一本も何処からも出てこなかったこと。
若かった頃放置していた針が血管に入って大騒ぎしたことがあるという話を聞いたことがあるが、そういえばあの狭い団地で寝起きしていた時も一度も針の不始末を見たことはなかった。
ありがとう、お母さん。
ごめんね、最期に家に帰してあげられなくて。

これから我が家にやってきた細々したモノはゆっくりと片付けていこう。
申し訳ないけれどもっともっと数が減っていくと思う。
いつか私がこの世を去らなければならなくなった時に残された人たちが大変な思いをしないように、母のモノも、私のモノも、最後に残ったのは文箱ひとつという身軽さを目指しているので。

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