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庭仕事は放置のまま

07 08 *2008 | 宿主生存報告

昨日の定期病院行きでシフトにしわ寄せが来て今日から4日連続勤務。
うーむ。
日曜日に信じられない初歩的ミスをしていたり(^^;;;、まあまだ笑って赦される範囲だからね~。
何時まで笑っていられるかの問題もある(きり)。

この2ヶ月ほどの通院とかは確かに自分のなんだけど、家の中がさごそしたら(またかよ)出て来る出て来る、医療費の領収書。
春先の私の目医者はアレルギーだけど、何故か娘もついでに視力検査していて、ついこの間は「耳が聞こえない」と耳鼻科行き。
小学校の頃からプールの時期に必ずダメ出しを食らっていた耳。
ちょっと細くてややこしい耳穴しているらしくて、溜まった耳垢が取りにくいらしい。
で、耳垢溜まりすぎで極端に聴力が落ちていた、というオチ。
ふーーーーーーー。
その上生意気にも私のマッサージにくっついてきて、肩こりだとかぬかしている。
運動しろ、運動。

もうとっくに限界の玄関先のビオラの植え込みに真っ黒にオレンジラインの芋虫がいた。
ネットで調べたら、ツマグロヒョウモンという蝶々の芋虫で、この子はスミレ蝶というくらいスミレが好きなのだそう。
可愛いので、そのまま放置。
雨に当たって見た目もよれよれのビオラだったけど、今日、まだら模様の蝶々がさなぎから羽化してた。
なんか嬉しい(^-^)

00:46

膏薬三昧

07 06 *2008 | 宿主生存報告

天気悪くなるですか?

回るお寿司は食べられなかったけど(笑)、娘と付き合ってブクロうろうろして帰ってきてから久しぶりに焼き肉なんか行って、がっつり疲れた。
んで、今日は昼から外に二時間、中で三時間。
昼の外がかなり効いて(T^T)汗だくで気持ち悪い。
帰って一休みしたけど、あちこち痛い。
うーむ、こんなこと繰り返していると痛み止めを減らせない。
あまり無理が出来ないことはちゃんと自覚しよう(>_<)

ちなみに娘にANNA SUIの長財布を強請られて、ひと月遅れの誕生日プレゼント。
せっかくなんだからもう少し高価なブランド物でも良いのよ?と言ったけど、その辺りで満足したらしい(笑)

23:18

疲れる夏日

07 04 *2008 | 宿主生存報告

結構涼しい日が続いて、いきなりの蒸し蒸し夏日には身体が付いていかない。
職場の猛者達は、どんなに暑い日でも炎天下でもがんがん力仕事をするけれど、こんな境目の時期は身体が慣れるまでがきつくて辛い。

足の小指を突き指して三日。
昨日は仕事の時に靴を履いて、身悶えするほど痛くて(T^T)、今日も我慢の一日。
帰りに整骨院に寄って、いちおう見て貰ったら「うーん。酷い突き指だと思うけど、来週整形に行くまで痛みが続くようなら写真撮って貰えば?」
まあ、多分来週までには…と思いたい。
痛み止めを一日二回にしてみているところ。朝と夜だけだから分かり易くて良い。
仕事の途中にメチコバールだけ一回多く飲む。
これはビタミン剤だからね。

がたがたやっているうちに、娘の甘言に乗せられてバーゲンに行き、娘の服だのサンダルだのを買わされる。
明日はブクロあたりで回るお寿司と、またもやデパートに行き、ついでにビックカメラでOS買ってくる予定。
なんだよ、娘のモノばっかりやん。

仕事の時は午前中なるべく身体を休め、休みの日はもっと休んでいるので(こら)、細かいところまで掃除しようとか、根を詰めてなにかしようとか、なかなか意欲が湧いてこないのには困る。
でも何時までも病人というわけでもないので、少しずつ半寝たきりから脱出しないと(^^;;;

23:33

ヘルニア始末記・結

07 02 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

さて。
頸椎ヘルニアと診断されてからもうすぐ2ヶ月。
目眩なんぞに襲われつつも、快方一直線。
レベルMAXだった頃の当初に比べれば今は1と感じることも少なくなり、こうしてテキスト打ちやネットサーフィンに座っていられる時間も随分長く…というよりも普通に座れるようになったと思う。
指先の痺れも余程のことがない限り思い出すこともなくなってきた。やれ嬉しや。
まあ、雨の時や、仕事で疲れが溜まってくると腕に怠さが襲ってきたりするけれど、こんなもの、あの痛みに比べれば怖れることなど全くない。
焦らずに少しずつ薬の量を減らしたり…だって基本的に治療のための薬なのではなくて痛み止めなのだから…マッサージも日を空けられるようになれば良いかと。
整骨院では、毎日一冊ずつNARUTOを読んで(笑)、もうすぐ最新刊に追いつく。
これが終わったらブリーチにしようか、花男にしようか♪
もちろん無理は禁物だけど、いつかはヘルニアンにお別れできるよう、気長に低空飛行して行くつもり。
お付き合いありがとうございましたm(__)m

で、こんなの書いている最中に柱を左足の小指で思い切りけっ飛ばして、靴も履けない有様。
どうするのよ、明日の仕事(T^T)

23:55

ヘルニア始末記6

07 01 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

ドクターからは「整体」は禁じられていたけれど、牽引やマッサージはOKだと言われて初めて行った整骨院(首の神経は細くて複雑なので、整体でヘタに弄るのは良くないらしい)。
数人のスタッフのいる、比較的新しく我が家に一番近かったところ(笑)
整形のドクターが教えてくれた診断通りの話をして、こちらで牽引などをお願いしたいと申し入れる。
何が嬉しかったって、スタッフの皆さんが代わる代わる「痛みを取っていきましょうね」と声を掛けてくれること。
……もっと早くここに相談に来ていれば良かったかもしれないと思った。
牽引と、遠赤外線で肩を温め、それからマッサージ。
今まで病院でもマッサージは受けたことがない。
整復師先生曰く「首から肩にかけてガチガチに硬くて、これでは牽引も効果が期待できない」とのこと。
その日から毎日、首の牽引、温め、マッサージのセット治療が始まった。
職場復帰した一週間は、痛みレベル的にほとんど減ることはなく現状維持だったけれど、翌週の改装休業中の身体を休めつつのマッサージ治療は、無理矢理に近く復帰した為のダメージ感覚となかなか降りていかない痛みレベルをぐっと押し下げてくれた。
首のカラーについても、整骨院で尋ねたところ、「いずれは外すモノだから」自分が調子良いと思えば外して行くのがベスト、と言われ、改装明けの職場復帰の時にはもう必要が無くなっていた。
痛みレベルもついに5を割り込んで、夜も普通によく眠れるようにもなった。
ただ、この間は梅雨の時期もあって、雨が降るような天気だと首の膏薬と湯たんぽが欠かせない。
改装明けの信じられないほど忙しかった二日間も余裕でこなし(笑)、またも一週間が経つ頃には痛みは重怠さ程度まで軽減されていて、気付けばごく普通に身動きできるまでになっていた。
二週間に一度の整形外科受診の日、ドクター曰く「ほうら、自然に治るでしょ」って、患者の痛みに無関心だったくせに!!!
私的に治ることは疑っていなかったけれど、本当に辛いあの痛みMAXだった時期に、何の手だてもしてくれなかった病院の姿勢はどうかと思う。
そして、ここまで痛みが軽減されてきていると言っているのに相も変わらず処方された薬は最初と同じ。
ふーむ。自分の身体ってあくまでも自分で何とかしろってことなのね、とつくづく納得させられた次第。

ただ、ここにも己で掘った墓穴がひとつ。
この病院に行った頃、凄く調子が良くて、試しに痛み止めを減らしてみようかと思い立った。
火曜日に朝ご飯のあと、少し時間をずらしてから薬を飲もうと思っていて綺麗さっぱり忘れてしまった。
飲んでいなかったのを思い出したのは、職場にかなり近付いていたのでもう引き返せない。
その上、あろうことか昼間職場で飲むための薬ケースも忘れてきてしまった(>_<)
ということは、前夜薬を飲んでから仕事を終え、買い物をし、マッサージをしてから家に帰り着くまで、なんと20時間ほど痛み止めを飲まなかったことになって…かなりヤバイ状態に。
久しぶりに膏薬と湯たんぽの世話になり、翌日は雨でこれまた絶不調。
なのに、マッサージも一日おきにしてみようと思い、雨だったこともあって面倒で水曜日に整骨院へは行かなかった。
木曜日、きちんと薬を飲んでもあまり復調しないなあ、と思いつつ、整骨院の前で硬直。
ぐはー、木曜日は休みだったよ(>_<)
日曜日もやっているけど、木曜日と祝日はお休み!!
まだまだ全快とはいかない状態を改めて自覚させられましたとさ。
という訳で、またもや痛み止めは一日三回、ちゃんと飲んで、毎日マッサージに通っておりまする。
┐(´-`)┌

00:25

ところで

06 30 *2008 | 宿主生存報告

今度は目眩が_| ̄|○
確か一年くらい前にもあったような気がする。
横たわった時と、起き上がった時にぐるうりと世の中が回るやつ。
もしかしたら血圧?と整骨院で言われてしまった。
今現在、首筋のマッサージを繰り返しているので血圧にも影響があるかもしれない、とのこと。
職場には風邪が蔓延してるし、困ったもんだわ。

23:09

ヘルニア始末記5

06 30 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

職場復帰は倒れて四週目で、痛みレベルはまだまだ6~7程度から落ちていなかった。
特に復帰したその日は日曜日で、がっつり入っていたレジを終えると首から肩にかけてガチガチに固まって痛みレベルが跳ね上がっていた。
が、私には嬉しい奥の手があったのだ。
あの光明のブログの中身が、痛みへの対処法を教えてくれていた。
三週間の間、痛みにのたうち回っていても誰も教えてくれなかったその方法を、ブログに教えて貰って早速実行。
帰りにドラッグストアで「温熱治療」という温かい湿布よりももう少しカイロに近いものを買い、帰るなり肩と腕に貼る。
首筋には冷湿布。
これが頸椎ヘルニアの痛みへの対処法だった。
ヘルニアが圧迫している神経は炎症を起こしているので、基本的には冷やさなければならない。
ところがその圧迫で強く痛みの出ている場所は、少し離れた肩から腕にかけて。
この痛みの場所そのものは温めると痛みを緩和できる。
だから、首筋は冷やして、肩と腕を温める。
痛みレベルがMAXに近かった時に風呂に入ったのは、全部を温めてしまうから拙かったのだ。
ブログでは温熱湿布ではなく、タオルを温めたホットパックを紹介していたのだけれど、私はそれを見た瞬間、ゴム製の湯たんぽをネットで探していた。
まあ、季節外れだったので欲しかったものは無かったけれど(>_<)、電子レンジで温めるタイプの湯たんぽが密林にあったので、即ポチ。
毎日、家に帰ると首に湿布を貼って、湯たんぽで腕や肩を温める。
薬に頼ってじりじりと痛みをやり過ごすより、こうして積極的に対処できることがなんともありがたい。
疲れもあったろうけれど、この夜から座薬も必要としなくなり、朝までなんとか眠れるようにもなった。
という訳で、こわごわ復帰した仕事でのダメージは、こうしてなんとか緩和方法を手に入れて乗り切ることが出来た。
翌週は改装閉店で休み。
ここへきてまとまって休めるのは凄く嬉しかった。
月曜日に整形外科の診察を受け、注射を断り、追加でビタミンB12を処方して貰い、湿布薬を多めに貰い、病院のリハビリではなく近所の整骨院で首の牽引をしたいと申し入れた。
ビタミン剤のメチコバールは、末梢神経の修復に役立つ効果があるらしく、神経の傷から来ている指先の痺れにはなんでも試してみたい。
これもあちこちのヘルニアサイトから仕入れた知識。
そして、毎日通っていた首の牽引も、家から結構な距離の病院より、職場帰りに寄れるところの方が楽なのはあたりまえ。
自分で痛みをコントロールできるかもしれない、実際温めたり冷やしたりで実践できることが判って、私はすっかりポジティブさを取り戻していた。

23:08

ヘルニア始末記4

06 29 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

鬱々と痛みを我慢しながらついに五月も終わりになり、とにもかくにも職場へ復帰することになった。
シフト表では比較的楽な二日出が続いていてほっとする。
果たしてちゃんと働けるのか不安だと一番感じたのは、三週間もほとんど寝たきりの間に、足に付いていた筋肉がほとんど落ちてしまっていたこと。
なにしろ驚くべきことに3キロ以上痩せていたのだ。
まあ、あれだけ食欲がなければ痩せるだろうけど(^^;;;、多分落ちたのはほとんど筋肉。
肉体労働の職場なので、この数年の間に腕にも足にもびしっと張っていた筋肉がこんな短期間で跡形もなくなくなっている。
参ったなーと思いつつ、この頃一筋の光明をネットで見出す。
ありとあらゆるヘルニア情報を探していたら、私とほとんど同じ症状で痛みに苦しんでいた人のブログに出逢った。
この人本人は臨床心理士でいらして、ヘルニアのことも痛みのことも冷静に、そしてその対処法も薬の種類もきちんと理解した上で掲載してある。
その内容は目から鱗の情報も有り、喜びと共に職場復帰への不安が少し薄らいだのは確かだった。
その前に、寝たきり療養生活で積もった垢を落とさなければ女としての社会復帰が怪しい(爆)
立っていること自体は平気になってきたので、鏡に向かいカミソリを使う。
右手の痛みで怖ろしくて顔にカミソリなんぞ使えなかったのが、ようやくここまで、という感じ。
屈めないので顔を洗うことすら出来なかった二週間でも、立ってシャワーを浴びることくらいは出来た。
ドライヤーで髪を乾かせないので、タオルで拭ったあと横たわると、そのままの形で髪が乾く。
根元から立ち上がっている髪型とは、こりゃ、寝たきり老人と同じだわ。
眉を整え、顔にカミソリを当て、化粧水でパックして、これでなんとか化粧くらいは乗るだろう(笑)
そして、なんとか短い間でも座れる間にネットであるものを注文。これが回復までの踊り場を支えてくれる。

六月一日、ついに職場復帰。
頸椎カラーには汗と化粧で汚れないように手ぬぐいを巻いて、なんかみんなに「痛々しいねぇ」などといわれながらも、無ければ五時間も立っていることは(その当時は)不可能なのだから仕方ない。
下を向くのが割と不自由、右手の先が痺れているのでお金をぽろぽろ落とす、重い荷物を持ち上げるのは不可能、と万全とはかけ離れてはいたけれど、なんとか一週間、休みを挟んでの五日間を乗り切った。
ありがたいことに仲の良い同僚からは残らずメールで激励を貰い、復帰してからも何かと助けて貰いつつ、世代的には同じや近い働き者の同僚達は皆、同じように身体を壊していたり、明日は我が身ということを良く理解してくれている。
口の悪い店長も、「本来なら一度契約を解除(要するにクビ)しても良かったんだけど、sumomoさんは真面目にやってくれるので」ということでそのままにしたとの言。
100パーセントにはまだまだ遠くても、一日が終わる頃にはへとへとになっても、なんとか職場には復帰できた。
しかも、運も私に味方してくれるかのように、六月の二週目は店の改装閉店で一週間に渡って休み。
まだ痛みもかなり残り、午前の病院、午後の勤務はかなりきついことから、ここぞとばかりに休ませて貰う。
そして、この一週間が勝負だったと今振り返れば思うのだ。

20:48

ヘルニア始末記3

06 28 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

結局、月曜日、水曜日、金曜日と座っていることさえ辛い中、何時間もかかって診察して貰っても痛みの軽減には全く繋がらなかった。
その時に打って貰える筋肉注射は、数時間経てば効果は消え失せて、またもや痛みの波が襲ってくる。
爺先生がまたも注射をしてくれ今回は座薬を処方してくれたが、それだって、ちゃんとした使い方を教えてくれたのは処方箋薬局の薬剤師さんだ。
その夜から、きっちり五時間だけ眠れるようになった。
座薬の鎮痛効果は五時間で切れてしまうから、その瞬間目が覚めてしまう。
夜中の、眠くなるぎりぎりまで我慢して、座薬を使って眠る。
痛みで毎日がへとへとなので、昼となく夜となく眠いのだが、こんなふうに細切れにしか眠れないのだ。
金曜日に診察を終え、カラーを巻いて職場に報告に行く。
何時復帰できるかは判らないので、五月いっぱいの休みを貰うことにする。
一週間後に再び報告に来ることにしてよろよろと帰る。
倒れて一週間。
ただひたすら、痛みが辛い。
ベッドに寝転がっている分には本を読んだり出来るので、買っておいて読んでいなかった小説を読みふける。
それから、しばらく放置しておいた数独パズルの本を解く。
その合間にうつらうつらと眠る。
病院では、牽引となにやらビタミン剤らしき注射が加わった。
中身は良く判らないけど、打ってもあまり痛みが収まらないので多分ビタミン剤なのだと思われる。
でもって揃いも揃って処置する看護士達の注射がヘタでヘタで。
毎日最低でも二箇所、多い時は四箇所も打ちそこねた挙げ句手の甲に打つ。
あまりどうにもならないと婦長を呼びに行くありさま。
枕元に本が堆く積まれる頃、ようやく二週間が経った。

三週間目に入ると、当初の痛みレベルが10だとして7~8くらいになってきた。
流石に二週間も病院への送迎をしてくれた旦那にも、感謝しつつ「もういいよ」と言ってみる。
そして、本当に久しぶりに自力で自転車に乗り病院へ行くことになった。
もちろん厳重にカラーをつけ、脇目も振らずにさっさと行って帰ってくる。
ちょつとずつネットも覗き、「頸椎ヘルニア」について色々調べてみる。
頸椎ヘルニア板、というのがあるのには笑えた。
自らをヘルニアンなどとも呼んでいる。
結構この症状には苦労している人が多いことを知る。そう、怖ろしいことに何年も。
手術している人もかなりいるのだが、主治医の爺先生曰く「最近の頸椎ヘルニアは余程のことがない限り手術を勧めない」と言っている。
若かりし頃から整形外科一筋で海外にも行ったことのある先生らしいし、私自身手術なんて必要だとは思っていないのでそれは良いのだけれど、とにかく痛みを緩和する方法を知りたいのだ、私は。

21:36

ヘルニア始末記2

06 27 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

会社にはとにかく診断の結果を速やかに伝え、とりあえず一週間休みを貰う。
まあ、アルバイトなんで休めばその分収入がないというだけなのだが、逆に言えばそんなに休むのなら要らないよ、ということにもなる。
不安に苛まれつつも、身動きできないのだからしようがない。
そして、とにかく、痛み止めを飲もうが何しようが、痛いモノは痛い。
私の場合、圧迫されている神経は右側なので、痛みは右肩から腕にかけて。
そして、右手の人差し指と中指に、まるでゴム手袋でもしているかのような痺れが出ている。
寝たきりで居るしかないのだけれど、右にも左にも寝返りさえ打てない。
ちょっとした姿勢の違いで猛烈に痛みが走ってくれる。
死にそうになりながら起き上がって、トイレに行く時もカラーをはめ、食欲が全くないのも三日目。
病院に行ってもその夜もほとんど眠れず。
翌日から牽引に通うのだけれど、もちろん起き上がることさえ出来ないのだから、午後になるとこっそり会社を抜けて旦那が送ってくれる(笑)
よろよろと牽引には行くモノの、10分間引っ張って、はい、おしまい。
そんなことくらいで、この猛烈な痛みが何とかなる訳がない。
その頃は、もちろん座っていられないしネットで何か役に立つ情報を得ようにも、手も足も出ない。
痛みに耐えきれない水曜日、通っている病院では整形外科の担当が曜日で変わる。
水曜日だけは、何時もの爺先生ではない人が来ているので、思いきってその先生にも縋ってみる。
若いお兄ちゃん先生は、やはり「そんなものですよー」。
そして、爺先生より多い4本もの注射を肩から腕に掛けて打ってくれ、眠れないほどの痛み用にと座薬と安定剤を処方してくれた。
このヘルニアの痛みに対して何の知識もない私は、温めた方が良いだろうとの思いから、その夜と翌日に風呂に入ってみた。
温める、という考え方は間違っていないのだけれど、この時期に風呂は拙かったのだと後に知る。
二晩余計に苦しんだことは、まあ仕方ないかもしれない。
なんたって、誰も何も教えてくれないのだから。
爺先生も、リハビリ室の方々も。
倒れてから五日ほどで、食欲が少し出て来る。
まあ、薬を飲むのに何か食べなければならないので、朝と昼はコンビニのおにぎりやインスタントのお味噌汁で、少しでも座っている時間を短くして素早く済ませて薬を飲み、ベッドへ直帰。
仰向けで寝ている姿勢なら、なんとか新聞くらいは読めるようになった。

11:20