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ヘルニア始末記2

06 27 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

会社にはとにかく診断の結果を速やかに伝え、とりあえず一週間休みを貰う。
まあ、アルバイトなんで休めばその分収入がないというだけなのだが、逆に言えばそんなに休むのなら要らないよ、ということにもなる。
不安に苛まれつつも、身動きできないのだからしようがない。
そして、とにかく、痛み止めを飲もうが何しようが、痛いモノは痛い。
私の場合、圧迫されている神経は右側なので、痛みは右肩から腕にかけて。
そして、右手の人差し指と中指に、まるでゴム手袋でもしているかのような痺れが出ている。
寝たきりで居るしかないのだけれど、右にも左にも寝返りさえ打てない。
ちょっとした姿勢の違いで猛烈に痛みが走ってくれる。
死にそうになりながら起き上がって、トイレに行く時もカラーをはめ、食欲が全くないのも三日目。
病院に行ってもその夜もほとんど眠れず。
翌日から牽引に通うのだけれど、もちろん起き上がることさえ出来ないのだから、午後になるとこっそり会社を抜けて旦那が送ってくれる(笑)
よろよろと牽引には行くモノの、10分間引っ張って、はい、おしまい。
そんなことくらいで、この猛烈な痛みが何とかなる訳がない。
その頃は、もちろん座っていられないしネットで何か役に立つ情報を得ようにも、手も足も出ない。
痛みに耐えきれない水曜日、通っている病院では整形外科の担当が曜日で変わる。
水曜日だけは、何時もの爺先生ではない人が来ているので、思いきってその先生にも縋ってみる。
若いお兄ちゃん先生は、やはり「そんなものですよー」。
そして、爺先生より多い4本もの注射を肩から腕に掛けて打ってくれ、眠れないほどの痛み用にと座薬と安定剤を処方してくれた。
このヘルニアの痛みに対して何の知識もない私は、温めた方が良いだろうとの思いから、その夜と翌日に風呂に入ってみた。
温める、という考え方は間違っていないのだけれど、この時期に風呂は拙かったのだと後に知る。
二晩余計に苦しんだことは、まあ仕方ないかもしれない。
なんたって、誰も何も教えてくれないのだから。
爺先生も、リハビリ室の方々も。
倒れてから五日ほどで、食欲が少し出て来る。
まあ、薬を飲むのに何か食べなければならないので、朝と昼はコンビニのおにぎりやインスタントのお味噌汁で、少しでも座っている時間を短くして素早く済ませて薬を飲み、ベッドへ直帰。
仰向けで寝ている姿勢なら、なんとか新聞くらいは読めるようになった。

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