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ヘルニア始末記4

06 29 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

鬱々と痛みを我慢しながらついに五月も終わりになり、とにもかくにも職場へ復帰することになった。
シフト表では比較的楽な二日出が続いていてほっとする。
果たしてちゃんと働けるのか不安だと一番感じたのは、三週間もほとんど寝たきりの間に、足に付いていた筋肉がほとんど落ちてしまっていたこと。
なにしろ驚くべきことに3キロ以上痩せていたのだ。
まあ、あれだけ食欲がなければ痩せるだろうけど(^^;;;、多分落ちたのはほとんど筋肉。
肉体労働の職場なので、この数年の間に腕にも足にもびしっと張っていた筋肉がこんな短期間で跡形もなくなくなっている。
参ったなーと思いつつ、この頃一筋の光明をネットで見出す。
ありとあらゆるヘルニア情報を探していたら、私とほとんど同じ症状で痛みに苦しんでいた人のブログに出逢った。
この人本人は臨床心理士でいらして、ヘルニアのことも痛みのことも冷静に、そしてその対処法も薬の種類もきちんと理解した上で掲載してある。
その内容は目から鱗の情報も有り、喜びと共に職場復帰への不安が少し薄らいだのは確かだった。
その前に、寝たきり療養生活で積もった垢を落とさなければ女としての社会復帰が怪しい(爆)
立っていること自体は平気になってきたので、鏡に向かいカミソリを使う。
右手の痛みで怖ろしくて顔にカミソリなんぞ使えなかったのが、ようやくここまで、という感じ。
屈めないので顔を洗うことすら出来なかった二週間でも、立ってシャワーを浴びることくらいは出来た。
ドライヤーで髪を乾かせないので、タオルで拭ったあと横たわると、そのままの形で髪が乾く。
根元から立ち上がっている髪型とは、こりゃ、寝たきり老人と同じだわ。
眉を整え、顔にカミソリを当て、化粧水でパックして、これでなんとか化粧くらいは乗るだろう(笑)
そして、なんとか短い間でも座れる間にネットであるものを注文。これが回復までの踊り場を支えてくれる。

六月一日、ついに職場復帰。
頸椎カラーには汗と化粧で汚れないように手ぬぐいを巻いて、なんかみんなに「痛々しいねぇ」などといわれながらも、無ければ五時間も立っていることは(その当時は)不可能なのだから仕方ない。
下を向くのが割と不自由、右手の先が痺れているのでお金をぽろぽろ落とす、重い荷物を持ち上げるのは不可能、と万全とはかけ離れてはいたけれど、なんとか一週間、休みを挟んでの五日間を乗り切った。
ありがたいことに仲の良い同僚からは残らずメールで激励を貰い、復帰してからも何かと助けて貰いつつ、世代的には同じや近い働き者の同僚達は皆、同じように身体を壊していたり、明日は我が身ということを良く理解してくれている。
口の悪い店長も、「本来なら一度契約を解除(要するにクビ)しても良かったんだけど、sumomoさんは真面目にやってくれるので」ということでそのままにしたとの言。
100パーセントにはまだまだ遠くても、一日が終わる頃にはへとへとになっても、なんとか職場には復帰できた。
しかも、運も私に味方してくれるかのように、六月の二週目は店の改装閉店で一週間に渡って休み。
まだ痛みもかなり残り、午前の病院、午後の勤務はかなりきついことから、ここぞとばかりに休ませて貰う。
そして、この一週間が勝負だったと今振り返れば思うのだ。

20:48