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ヘルニア始末記5

06 30 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

職場復帰は倒れて四週目で、痛みレベルはまだまだ6~7程度から落ちていなかった。
特に復帰したその日は日曜日で、がっつり入っていたレジを終えると首から肩にかけてガチガチに固まって痛みレベルが跳ね上がっていた。
が、私には嬉しい奥の手があったのだ。
あの光明のブログの中身が、痛みへの対処法を教えてくれていた。
三週間の間、痛みにのたうち回っていても誰も教えてくれなかったその方法を、ブログに教えて貰って早速実行。
帰りにドラッグストアで「温熱治療」という温かい湿布よりももう少しカイロに近いものを買い、帰るなり肩と腕に貼る。
首筋には冷湿布。
これが頸椎ヘルニアの痛みへの対処法だった。
ヘルニアが圧迫している神経は炎症を起こしているので、基本的には冷やさなければならない。
ところがその圧迫で強く痛みの出ている場所は、少し離れた肩から腕にかけて。
この痛みの場所そのものは温めると痛みを緩和できる。
だから、首筋は冷やして、肩と腕を温める。
痛みレベルがMAXに近かった時に風呂に入ったのは、全部を温めてしまうから拙かったのだ。
ブログでは温熱湿布ではなく、タオルを温めたホットパックを紹介していたのだけれど、私はそれを見た瞬間、ゴム製の湯たんぽをネットで探していた。
まあ、季節外れだったので欲しかったものは無かったけれど(>_<)、電子レンジで温めるタイプの湯たんぽが密林にあったので、即ポチ。
毎日、家に帰ると首に湿布を貼って、湯たんぽで腕や肩を温める。
薬に頼ってじりじりと痛みをやり過ごすより、こうして積極的に対処できることがなんともありがたい。
疲れもあったろうけれど、この夜から座薬も必要としなくなり、朝までなんとか眠れるようにもなった。
という訳で、こわごわ復帰した仕事でのダメージは、こうしてなんとか緩和方法を手に入れて乗り切ることが出来た。
翌週は改装閉店で休み。
ここへきてまとまって休めるのは凄く嬉しかった。
月曜日に整形外科の診察を受け、注射を断り、追加でビタミンB12を処方して貰い、湿布薬を多めに貰い、病院のリハビリではなく近所の整骨院で首の牽引をしたいと申し入れた。
ビタミン剤のメチコバールは、末梢神経の修復に役立つ効果があるらしく、神経の傷から来ている指先の痺れにはなんでも試してみたい。
これもあちこちのヘルニアサイトから仕入れた知識。
そして、毎日通っていた首の牽引も、家から結構な距離の病院より、職場帰りに寄れるところの方が楽なのはあたりまえ。
自分で痛みをコントロールできるかもしれない、実際温めたり冷やしたりで実践できることが判って、私はすっかりポジティブさを取り戻していた。

23:08

ヘルニア始末記4

06 29 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

鬱々と痛みを我慢しながらついに五月も終わりになり、とにもかくにも職場へ復帰することになった。
シフト表では比較的楽な二日出が続いていてほっとする。
果たしてちゃんと働けるのか不安だと一番感じたのは、三週間もほとんど寝たきりの間に、足に付いていた筋肉がほとんど落ちてしまっていたこと。
なにしろ驚くべきことに3キロ以上痩せていたのだ。
まあ、あれだけ食欲がなければ痩せるだろうけど(^^;;;、多分落ちたのはほとんど筋肉。
肉体労働の職場なので、この数年の間に腕にも足にもびしっと張っていた筋肉がこんな短期間で跡形もなくなくなっている。
参ったなーと思いつつ、この頃一筋の光明をネットで見出す。
ありとあらゆるヘルニア情報を探していたら、私とほとんど同じ症状で痛みに苦しんでいた人のブログに出逢った。
この人本人は臨床心理士でいらして、ヘルニアのことも痛みのことも冷静に、そしてその対処法も薬の種類もきちんと理解した上で掲載してある。
その内容は目から鱗の情報も有り、喜びと共に職場復帰への不安が少し薄らいだのは確かだった。
その前に、寝たきり療養生活で積もった垢を落とさなければ女としての社会復帰が怪しい(爆)
立っていること自体は平気になってきたので、鏡に向かいカミソリを使う。
右手の痛みで怖ろしくて顔にカミソリなんぞ使えなかったのが、ようやくここまで、という感じ。
屈めないので顔を洗うことすら出来なかった二週間でも、立ってシャワーを浴びることくらいは出来た。
ドライヤーで髪を乾かせないので、タオルで拭ったあと横たわると、そのままの形で髪が乾く。
根元から立ち上がっている髪型とは、こりゃ、寝たきり老人と同じだわ。
眉を整え、顔にカミソリを当て、化粧水でパックして、これでなんとか化粧くらいは乗るだろう(笑)
そして、なんとか短い間でも座れる間にネットであるものを注文。これが回復までの踊り場を支えてくれる。

六月一日、ついに職場復帰。
頸椎カラーには汗と化粧で汚れないように手ぬぐいを巻いて、なんかみんなに「痛々しいねぇ」などといわれながらも、無ければ五時間も立っていることは(その当時は)不可能なのだから仕方ない。
下を向くのが割と不自由、右手の先が痺れているのでお金をぽろぽろ落とす、重い荷物を持ち上げるのは不可能、と万全とはかけ離れてはいたけれど、なんとか一週間、休みを挟んでの五日間を乗り切った。
ありがたいことに仲の良い同僚からは残らずメールで激励を貰い、復帰してからも何かと助けて貰いつつ、世代的には同じや近い働き者の同僚達は皆、同じように身体を壊していたり、明日は我が身ということを良く理解してくれている。
口の悪い店長も、「本来なら一度契約を解除(要するにクビ)しても良かったんだけど、sumomoさんは真面目にやってくれるので」ということでそのままにしたとの言。
100パーセントにはまだまだ遠くても、一日が終わる頃にはへとへとになっても、なんとか職場には復帰できた。
しかも、運も私に味方してくれるかのように、六月の二週目は店の改装閉店で一週間に渡って休み。
まだ痛みもかなり残り、午前の病院、午後の勤務はかなりきついことから、ここぞとばかりに休ませて貰う。
そして、この一週間が勝負だったと今振り返れば思うのだ。

20:48

ヘルニア始末記3

06 28 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

結局、月曜日、水曜日、金曜日と座っていることさえ辛い中、何時間もかかって診察して貰っても痛みの軽減には全く繋がらなかった。
その時に打って貰える筋肉注射は、数時間経てば効果は消え失せて、またもや痛みの波が襲ってくる。
爺先生がまたも注射をしてくれ今回は座薬を処方してくれたが、それだって、ちゃんとした使い方を教えてくれたのは処方箋薬局の薬剤師さんだ。
その夜から、きっちり五時間だけ眠れるようになった。
座薬の鎮痛効果は五時間で切れてしまうから、その瞬間目が覚めてしまう。
夜中の、眠くなるぎりぎりまで我慢して、座薬を使って眠る。
痛みで毎日がへとへとなので、昼となく夜となく眠いのだが、こんなふうに細切れにしか眠れないのだ。
金曜日に診察を終え、カラーを巻いて職場に報告に行く。
何時復帰できるかは判らないので、五月いっぱいの休みを貰うことにする。
一週間後に再び報告に来ることにしてよろよろと帰る。
倒れて一週間。
ただひたすら、痛みが辛い。
ベッドに寝転がっている分には本を読んだり出来るので、買っておいて読んでいなかった小説を読みふける。
それから、しばらく放置しておいた数独パズルの本を解く。
その合間にうつらうつらと眠る。
病院では、牽引となにやらビタミン剤らしき注射が加わった。
中身は良く判らないけど、打ってもあまり痛みが収まらないので多分ビタミン剤なのだと思われる。
でもって揃いも揃って処置する看護士達の注射がヘタでヘタで。
毎日最低でも二箇所、多い時は四箇所も打ちそこねた挙げ句手の甲に打つ。
あまりどうにもならないと婦長を呼びに行くありさま。
枕元に本が堆く積まれる頃、ようやく二週間が経った。

三週間目に入ると、当初の痛みレベルが10だとして7~8くらいになってきた。
流石に二週間も病院への送迎をしてくれた旦那にも、感謝しつつ「もういいよ」と言ってみる。
そして、本当に久しぶりに自力で自転車に乗り病院へ行くことになった。
もちろん厳重にカラーをつけ、脇目も振らずにさっさと行って帰ってくる。
ちょつとずつネットも覗き、「頸椎ヘルニア」について色々調べてみる。
頸椎ヘルニア板、というのがあるのには笑えた。
自らをヘルニアンなどとも呼んでいる。
結構この症状には苦労している人が多いことを知る。そう、怖ろしいことに何年も。
手術している人もかなりいるのだが、主治医の爺先生曰く「最近の頸椎ヘルニアは余程のことがない限り手術を勧めない」と言っている。
若かりし頃から整形外科一筋で海外にも行ったことのある先生らしいし、私自身手術なんて必要だとは思っていないのでそれは良いのだけれど、とにかく痛みを緩和する方法を知りたいのだ、私は。

21:36

ヘルニア始末記2

06 27 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

会社にはとにかく診断の結果を速やかに伝え、とりあえず一週間休みを貰う。
まあ、アルバイトなんで休めばその分収入がないというだけなのだが、逆に言えばそんなに休むのなら要らないよ、ということにもなる。
不安に苛まれつつも、身動きできないのだからしようがない。
そして、とにかく、痛み止めを飲もうが何しようが、痛いモノは痛い。
私の場合、圧迫されている神経は右側なので、痛みは右肩から腕にかけて。
そして、右手の人差し指と中指に、まるでゴム手袋でもしているかのような痺れが出ている。
寝たきりで居るしかないのだけれど、右にも左にも寝返りさえ打てない。
ちょっとした姿勢の違いで猛烈に痛みが走ってくれる。
死にそうになりながら起き上がって、トイレに行く時もカラーをはめ、食欲が全くないのも三日目。
病院に行ってもその夜もほとんど眠れず。
翌日から牽引に通うのだけれど、もちろん起き上がることさえ出来ないのだから、午後になるとこっそり会社を抜けて旦那が送ってくれる(笑)
よろよろと牽引には行くモノの、10分間引っ張って、はい、おしまい。
そんなことくらいで、この猛烈な痛みが何とかなる訳がない。
その頃は、もちろん座っていられないしネットで何か役に立つ情報を得ようにも、手も足も出ない。
痛みに耐えきれない水曜日、通っている病院では整形外科の担当が曜日で変わる。
水曜日だけは、何時もの爺先生ではない人が来ているので、思いきってその先生にも縋ってみる。
若いお兄ちゃん先生は、やはり「そんなものですよー」。
そして、爺先生より多い4本もの注射を肩から腕に掛けて打ってくれ、眠れないほどの痛み用にと座薬と安定剤を処方してくれた。
このヘルニアの痛みに対して何の知識もない私は、温めた方が良いだろうとの思いから、その夜と翌日に風呂に入ってみた。
温める、という考え方は間違っていないのだけれど、この時期に風呂は拙かったのだと後に知る。
二晩余計に苦しんだことは、まあ仕方ないかもしれない。
なんたって、誰も何も教えてくれないのだから。
爺先生も、リハビリ室の方々も。
倒れてから五日ほどで、食欲が少し出て来る。
まあ、薬を飲むのに何か食べなければならないので、朝と昼はコンビニのおにぎりやインスタントのお味噌汁で、少しでも座っている時間を短くして素早く済ませて薬を飲み、ベッドへ直帰。
仰向けで寝ている姿勢なら、なんとか新聞くらいは読めるようになった。

11:20

復活~~♪

06 26 *2008 | 一病息災::ヘルニア始末記

大変ご無沙汰しております(^^;;;
激痛にのたうちまわる状態からなんとか脱することが出来、今はゆっくり階段を上り下りするように痛みと付き合ってます。
この一ヶ月の状況をメモ代わりに残しておこうかと。

ことの起こりは5月10日土曜日。
朝起きたら「おや?寝違えかな??」程度の違和感が首筋から背中に。
いつものように仕事に行き、4時間みっしりレジに入ると、終わる頃にはかなり背中がこりこり。
実はこの日は母の日イブで、日曜にアルバイトの私と娘の希望でその日に母の日食事会を母宅ですることになっていたので、仕事帰りにはそのまま車でケーキを買い、手巻き寿司の食材を買い、母宅台所で食事の仕度をこなし、ようやく座ったのが午後8時頃。
後片付けを終え、夜10時を過ぎた頃には座っているのも苦しいほど背中が痛くなってきた。
うーーーーむ。痛いぞ、こりゃ。
家に辿り着く頃には、もう座ってもいられないほど痛みが激しくなり、そのままベッド直行。
が、どんどん状態は悪化して、痛みで寝返りもうてず、ほとんど眠れないまま朝が来た。
起き上がれば激痛で声も出せないほどで、トイレにも這うように行き、仰向けに横たわっていれば多少痛みが薄らぐ程度。
時間はどんどん過ぎ、仕方なく職場に電話し、振り絞るように「休みます」だけ伝えたものの、昼を待たずに痛みでギブアップ。
母も通っている病院に電話して、とりあえず診察して貰うことになったのだが、着替えることもままならず、車に乗って座ることすら痛みでじっとしていられない。
病院の待合室でも長椅子に横たわり、診てくれた内科の先生に必死に訴えたものの、内科にしてみれば背中の痛みは結石とか、他の内臓疾患を疑っている。
だが、場所は肩胛骨のさらに上。
結局、明日にでも整形外科に行ってね、ということで処方されたモノは湿布薬と軽い痛み止め。
もちろんそんなものが効く訳もない。
その日一日全く食欲は湧かないし、水だけを枕元に置き、またもや眠れない夜が鬱々と過ぎて行くことに。
明けて月曜日、同じ病院の整形外科は午後からで、朝は再び振り絞るように職場に電話して休ませて貰い、さすがに昼間他の患者さんもいることだし(^^;;;病院へ行くのに寝間着を着替える。
その間も立っていることは出来ず、一番楽な姿勢とはオットマンの前に跪いて俯せの状態。
一旦仕事に出掛けたものの、帰ってきて車で旦那が送ってくれる。
受付を早めに済ませてくれていたので(-人-)割と早めに順番が回るも、やはり寝転がっていなければとても座っていられない。
爺先生は診るなり即「はい、レントゲンとMRIね」
幸いレントゲンもMRIも空いていたので直ぐに結果が出た。
「頸椎椎間板症」つまり、頸椎ヘルニア。
第5と第6頸椎の間が潰れ、飛び出したヘルニアが神経を圧迫している状態なのが見事に画像化されていて、シロウトの私が診ても間違いようがない。
この症状は、ここまではっきり診断が付かなくても出ることが多く、私のようにきっぱり分かり易いのはむしろ珍しいらしい。
とにかく重症と言われても、問題はその先。
「この痛みはなんとかならないのでしょうか」
「痛み止め飲んでね」
「どの程度時間がかかりますか」
「んー、人によるんだよね。一週間か二週間か、半年か」
痛みの強く出ている右側の肩口にとりあえず痛み止めの注射。
あのムチウチ症の人がしている頸椎カラーを渡され、リハビリ室で牽引をするように言われ、あとは痛み止めの処方箋。
へとへとになって診察終了。
診断は出たものの、まだまだ痛みとの闘いは続くのであった。

00:11